テレワーク特化の転職サービス「FLEMEE」を通して就職した方のインタビューです。
プロフィール
K.U
神奈川県出身。海と山に囲まれた田舎で育つ。車とバイクが大好きで漫画のイニシャルDにハマった少年時代。ものづくりに興味があり大学院まで工学を学んだ末、営業職を選択。30歳頃から病気の症状が出始め、35歳で病名が判明した後も営業職として成果を上げてきたが、症状の進行によりキャリアチェンジを決意。
2024年1月に株式会社メルカリへ入社し、現在はBusiness Support TeamにてHRのサポート業務に従事している。
インタビュー日:2024/6/26

はじめに
メルカリ社へはどういった経緯で入社されたのでしょうか。
病気の進行で歩行が難しくなり営業職を継続できなくなったからです。
障害をオープンにして、自分らしく働ける環境にチャレンジしようと考えていたとき、FLEMEEに出合い、私の背景やチャレンジしたいことを理解してもらい、メルカリ社を紹介していただきました。
現在はどのような業務を担当されていますか。
Business Supportという部署(特性をもつメンバーが社内のあらゆる部門をサポートしている)でHRの業務を担当しています。
具体的には派遣スタッフさんの管理です。このUnitは社内の多岐にわたるカウンターパート、ステークホルダーと連携を図ることや、さまざまなトラブル対応を行うことが多いです。
会話を行うなかで、相手の求めている本質をつかめる点や、トラブル対応においても優先順位や着地点に向かって建設的に思考できる点は、営業職の経験が生きていると感じます。
オリィ研究所が運営する『はじめての障害者雇用』でも安心な転職エージェント「FLEMEE」はこちら
「4つのこだわり」を武器に、圧倒的成果で営業職のキャリアに邁進する日々
工学部の大学院で学び、そこから営業職に進まれた、その理由をお話いただけますか?
営業職に興味を持ったのは、大学院時代に学費稼ぎで始めたアルバイトがきっかけです。
工学は好きですが、研究職だと結果が出ない期間が長く、モチベーション維持が難しいと感じました。一方で、営業職は行動と成果が直結し、数字で明確に出る面白さに惹かれました。
理系で培った論理的思考は営業でも活かせるイメージがあったので、工学を活かせる営業職を探し、1社目にメーカーの営業職として入社しました。
新卒で営業としてのキャリアをスタートした頃のことを教えてください。
入社した電機メーカーでは、町の電気工事店から大手企業まで幅広く営業活動を行っていました。
最初の1年間は売上がゼロで、同期が実績を出して顧客と楽しそうに電話で話す姿を見て、とても焦っていた気持ちは、いまだに忘れられないです。
しかし、この時の上司に営業のイロハを教わり、私の営業の礎ができました。
結果、営業成績が200%を超える実績に繋がり、二年目以降、新規開拓社数は社内でトップになりました。そこで自信がつき、営業としてキャリアアップしていきました。
上司の方から教えていただいた営業のイロハとはどのようなことでしたか?
準備、身だしなみ、傾聴、行動量、この4つにこだわることです。具体的には、
- 準備
- 営業活動のすべてのフェーズで準備を怠らない
- 身だしなみ
- 新規開拓が多い場面では、信頼を得て聞く耳をもってもらうために第一印象が重要
- 傾聴
- ただの物売りではなく、現状のヒアリングから顧客を知り、コンサルタントとして提案する
- 行動量
- テクニックも必要だが、結果を出すためには行動量は非常に重要
「この4つは、営業として当たり前のことだからね」と言われ、徹底的に身に着けました。その結果、周囲の協力も得て、大きな成果につなげることができました。
順調に成果を上げられ、お仕事に邁進されていたのですね。当時はどのようなキャリアを描いていましたか。
振り返ると、とにかく仕事だけに没頭していたと思います(笑)
就活時に学歴で希望がかなわない悔しさを経験しており「中小企業でも実績を作れば大手企業に入れるかもしれない」と考え、より条件の良い企業に転職する機会を狙っていました。また、キャリアアップによる年収増も、転職の軸の一つとしてありました。
将来的には魅力ある会社で部下をもち、会社や周囲からも信頼されるプレイングマネージャーになることを目指していました。

人生の分岐点。忍び寄る病(やまい)の影
お仕事に没頭されていた状況が、変わるきっかけがあったのですよね?
35歳が人生の分岐点になったと思います。
振り返ると30歳頃から、頭が自分の意思とは関係なく左右に小刻みに震えるという違和感がありました。疲れかなと思う程度で、当時はあまり気にしていませんでした。
しかし、徐々に症状が顕著になり、病院を受診。本態性振戦(原因不明の震え)と診断され、服薬を行いましたが、症状は悪化の一途をたどっていきました。
さらに複数の病院で診察を受けた結果、ジストニアと診断されたので、脳の手術を行いましたが症状は改善されず、療養するために勤めていた会社を退職しました。
この時のお気持ちを教えていただけますか?
不安で押しつぶされそうになる日々でした。大きな手術までして、症状の改善がなく小さな子供もいるのにこれからどうしようと。無職になって半年間は先のことを考えると不安で眠れない日々が続きました。
その当時の記憶があまりないんですよね。精神的に結構つらくて、心の病気になる一歩手前だったと思う。記憶はほとんどないですが、何も考えられていなかったです。
しかし、1年ぐらい経って気持ちに変化が出てきたんですよね?
「なんとかなっているし、これからもなんとかなるんじゃないか」という、根拠のないポジティブさが芽生えてきました。
これまでは多忙で子供と遊ぶ時間がなかなか取れなかったのですが、毎日行く公園で知り合ったママ友と会話する機会など、物事を前向きに考えられるようになったきっかけがあったかと思います。
また、妻が一生懸命に働いてくれている、子供もまだ小さくて育てる責任があるなど、いろいろな要因が一つになって「やるしかない!」と思えました。
復帰の喜びもつかの間、病気の確定診断が下る
その後、体調の回復、再就職に至ったのですよね。
はい、1年半の療養期間をかけて、だいぶ症状が改善していきました。
おそらく激務がなくなったことも、要因の一つとしてあったのかなと思います。
まずは身内の企業で1年間営業をやって、特に問題ないという実績を作ったうえで、IT系のベンチャー企業に入りました。
ベンチャー企業特有のスピード感が魅力的で、商品も良い、自分が入ったら成績を上げられるのではないか、と感じました。
そして実際に目標達成、実績も出しました。しかし、入社後2年ほど経つと、再び身体に違和感を覚えるようになりました。
それまでは首の震えが主な症状でしたが、歩行の難さや視界の違和感、パソコン作業でキーボードを打つときに指がしっかり動かないなど。「やっぱりこれは変だな」と思い、検査を受けた結果、「脊髄小脳変性症」という病名がつきました。
会社にも伝えたうえで営業は続けていましたが、症状の進行により内勤へ異動しました。
一度復帰の手応えを感じてから、また落ちてしまうのはつらいですね。内勤へはスムーズに移行できたのですか?
そうですね。業務はスムーズに移行できましたが、気持ち的には葛藤がありましたね。
自分の担当していたお客さんを他の人に引き継ぐ必要がある、それはつらかった。また、事務職の経験はあったものの新たな職務への不安もありました。
オリィ研究所が運営する『はじめての障害者雇用』でも安心な転職エージェント「FLEMEE」はこちら
発想の転換。障害者雇用という新たなフィールドへの挑戦
そこからの転職を決意されたきっかけは何でしたか?
異動先が自分の想像していた「戦力になれる業務」ではなく、誰でもできるような事務作業がメインだったので、キャリア的に不安を感じていました。
また、10年後、20年後と、未来を想像したときに「一般枠でこのまま仕事ができるのかな?」という不安も重なり「障害者枠でキャリアアップができる求人を探そう」との思いに至りました。
障害者雇用を選択することへの、不安はありましたか?
営業はもうできないと理解していたので、今までのようなキャリアを描けないかもしれないという不安はありました。
また、企業によって障害者雇用に対する温度感が異なるので、自分の望む働き方ができないかもしれないという点と、給与が下がるかもしれないということも、転職活動が進むに伴い葛藤していたポイントです。
しかし、障害者枠で採用され、自分の病気を知ったうえで仕事をアサインしてもらえるのであれば、今よりも戦力としての実感を得られるのでは、という期待もありました。

FLEMEEとの出合い。そして、メルカリ社への扉が開かれた
FLEMEEとの出会いについて教えてください。
(転職支援サービスFLEMEEを運営する)株式会社オリィ研究所はだいぶ前から知っていました。代表の吉藤さんもすごく素敵な方だと思っていて、オリィ研究所のホームページも見る機会があったんです。
障害を持ちながらOriHimeパイロット(株式会社オリィ研究所が開発する分身ロボットOriHimeを遠隔操作して働く人のこと)として働くというスタイルを参考にしようと思い調べていたら、同社が転職支援サービスも行っていることを知り、FLEMEEに登録しました。
FLEMEEを通じての転職活動はいかがでしたか?
寝たきりの特性を持っているOriHimeパイロットが在籍しているので、自分の病気の理解度も高いのでは?自分のキャリアを生かせる求人を紹介していただけるのでは?という期待がありました。
そして、メルカリ社をご紹介いただくことになりました。完全にフルリモートで働く場所を選ばない、かつ勤務時間も自由に設定できる。自分が求めていた働き方ができる求人だ、と感じました。
実際に選考に進んだ際も、形式的な面接ではなく、これまでの経験やスキル以外にも人間性や考え方を評価してくれているんだなと魅力に感じました。
障害者雇用の転職活動では、ベンチャー企業であること、カルチャーマッチすることが軸だったそうですね?
以前は「条件」を重視していましたが、今回は違う軸でしたね。
ベンチャー企業である理由は、スピード感や組織を横断していろいろな担当ができてスキルアップにつながる、と考えたためです。自分が成長し続けるための環境ということで、ベンチャー企業であることは外せませんでした。
カルチャーマッチの点で、メルカリ社にはどのような魅力を感じましたか?
メルカリ社が掲げているI&D(インクルージョン&ダイバーシティ)や多様性の考え方です。
「ビジネスに多様性は絶対必要」「多様性であることは目的ではなく手段」という会話もして、とても共感しました。いろいろな会社が多様性をうたっていますが、メルカリ社はその多様性の重要性をしっかり認識していて。自分に合っていると確信できました。
オリィ研究所が運営する『はじめての障害者雇用』でも安心な転職エージェント「FLEMEE」はこちら
やりがいのある困難を乗り切って、業務を安定軌道に乗せ、頼られる存在に
メルカリ社での現在の業務内容について教えてください。
現在はビジネスサポート部門の中を細分化した、HRのサポートを担当しています。主に、在籍している派遣社員の管理です。入社から退職までの手続きやトラブル対応、派遣会社との交渉、カウンターパートとの連帯など、フルリモートですが何でもやります。
仕事のやりがいやご苦労はどんなところでしょう?
やりがいは色々な場面でありますね。入社後、業務の引継ぎをしてくれるはずだった方が途中で退職してしまい、何もわからない状態でしたが、手探りで一つずつ業務の全体を把握し、無駄な業務は自分なりに改善していきました。
最初はかなり大変でしたが、今となっては安定的に稼働できる状態まで持ってこれました。また、カウンターパートの社員も派遣さんのことで分からないことがあったら自分を頼りにしてくれるなど、やりがいを感じています。
その努力に対して会社からのフィードバックはありましたか?
さまざまな問題がありましたが、最近「ありがとうございます」とか「これをやってもらって助かっています」など、マネージャーも含め評価してくれています。それもやりがいですね。「やり切った!」という実感です。
病気や仕事に対する思いの変化。自分主体から相手主体へ
メルカリ社に入社してから現在に至るまで、どんな思いでお仕事されてきましたか?
入社してすぐ、引き継ぎがほぼないまま大量の業務を正常化しなければという課題に直面しました。そのことについて、自分自身では「障害を持っていてもこれだけ働けるんだ」と評価をいただけたかなと思っています。
その経験も踏まえて、障害者が活躍できる仕組みをもっと作っていきたいと思っています。会社も同じ思いでいてくれると感じています。
メルカリ社はそういう協力的な姿勢があり、ただ多様性をうたっているわけではない、組織、課題の手段として考えていただける。入社してから、特にありがたいなと肌で感じる部分です。
ご病気を含めたお仕事への思いもお聞かせください。ご病気は、進行性の症状と伺っています。
そうですね。いろいろな思いはありますが、「諦めない」ことや「前向きに考える」ことですね。健常であっても、いつ何が起きるかはわかりませんので。
- 今やれることを一生懸命取り組む
- 進行性の病気ではあるけれど、動けるうちは全力でやる
- 今を精一杯生きる
という気持ちで日々を送っています。
そのお気持ちに、波があったりはしますか?
波はもうないですね。考え方が一気に変わりました。
主語を「自分」から「相手」に置いています。同じ障害をもつ方に対して「こんな働き方ができますよ」というロールモデルになりたい。以前は自分主体だったものが相手主体に変わったんです。
「自分主体から相手主体へ」と考えるようになった理由は何でしょう?
表現が難しいのですが、自分自身の価値は相手に決めてもらうことであって、自分で決めるのではない。相手に評価をしてもらうことで、初めて自分の価値が分かると思うのです。
なので、自分で自分を評価して「何もできない」と諦めたり、自分を抑えこんだりしないで、どんどんチャレンジしてほしい。

今後の展望と今伝えたいメッセージ
メルカリ社に入社して、キャリアに対する考え方に変化はありましたか?
変化はあったと思います。漠然としていますが、スキルアップを目指すというより障害を持った方々がチームで円滑に働いていただくために、どんな調整が必要かということを考えるようになっています。
社内でも、特性を持った方々の認知というのはこれから。「障害特性を持っているけどしっかり働けますよ」「会社の力になりますよ」といった発信もしていきたいですね。
「障害を持って辛いけれど、こういうことだったらできる!」と自信を持ってもらえるような組織運営ができればと。そのためには会社組織を変えていかなければいけないので、そこに従事できるようなキャリアを積んでいきたいなと思っています。
将来自分の子供も含め、思いがけない困難な状況に置かれる場合があるかもしれません。今のうちからそうした立場の方への認知を社会に広めていければ、周りの人に恩返しできるのではないかと思っています。
ありがとうございます。最後に、今、先の見えない状況にいらっしゃる方へ、メッセージをお願いします
端的に言えば、「何とかなる」ということです。自分も1年半無職だったけど、最終的に生活も支えてきましたし、その間に事態は結構良い方向に向かいました。
不安なのは間違いなくあると思いますが「あまりネガティブに考えなくても大丈夫」「そんなに今を悲観しないで」と伝えたい。本当に何とかなるので、あまり重く捉えすぎず、前向きな考えを大切にしてほしいです。
オリィ研究所が運営する『はじめての障害者雇用』でも安心な転職エージェント「FLEMEE」はこちら